2012年11月19日
藤本義一と川島雄三
先日、CSで夭逝の天才映画監督川島雄三の傑作映画『幕末太陽傳』が放映されていた。
この映画が製作された頃、社会は太陽族が流行ってた。
その背景から日活の大作はこのタイトルが付けられたようだ。
以前、VHSで録画していたものを今回の放映がデジタルリマスター版なので、上書きダビングした。
棚から取り出した以前のVHSのビデオケースから、新聞の切抜きが出てきた。
むかしはよくビデオで録画した映画の関連記事をVHSと共にケースに入れていたので、これもそのひとつ。
この新聞記事の切り抜きを見て驚いた。
記事は「出会いの風景」というコラムのタイトルだ。
様々な著名人が“出会い”を語るシリーズコラムなようで、この記事は藤本義一だった。
つい先日亡くなられた義一の記事だったので驚いたのだが、そのコラム内容にさらに驚かされた。
義一がシナリオ修業時代に師の映画監督川島雄三のことを語っている。
あまりに内容がすばらしいので、ここに転載する。
二十四歳の時、シナリオ修業の師に出会った。
「幕末太陽伝」「洲崎パラダイス・赤信号」「風船」という名作を意欲的に発表し続ける映画監督・川島雄三師匠であった。
それも偶然に近い関係で師匠の身の回りの雑用をして従った。
企業組織の人間よりも師弟制度の中に自分を置いたほうが技術を学ぶことが出来ると思ったからだ。
修業といっても教えてもらえるわけではない。
師匠から盗むしかない。
それでも時々、深夜に白馬(どぶろく)飲みながら、すばらしい言葉を頂いた。
「藤本君、君は天才でもなんでもない。君が頭で考えていることを100としようか。
その考えを言葉にすると10になる。
さらに、それを文字にすれば1になる。
考えの0.1%が文学だと思え。せめて死ぬまでに0.2%か0.3%にもっていくのがプロだ。
そして自分で1日に自分だけの時間を管理しろよ」
徹夜つづきでボロボロになっても、若さがあるからくたばることはないともいわれた。
私は、この師匠の言葉を三十七年間守ってきた。
一日最低二時間は誰とも話さない時間をもっている。
一年に七百三十時間が自分だけの時間だ。
一日二十四時間だから、七百三十時間を24で割ると30.4になり、
一年間に一ヶ月徹夜で自分の時間を持つことになる。
あの師匠に出会わなかったら、私は自分の時間にも出会わなかった気がする。
師匠の没後二十五年経って、師匠の故郷である津軽に行き、墓前にヤッテマスとだけいった不肖な弟子だ。
この当時、義一は37歳。
今の私よりも遥かに若い。
その義一も、今はもういない。
落語の「居残り佐平次」から主人公を拝借。名作中の名作。F堺が名優だったことがよくわかる。
この映画が製作された頃、社会は太陽族が流行ってた。
その背景から日活の大作はこのタイトルが付けられたようだ。
以前、VHSで録画していたものを今回の放映がデジタルリマスター版なので、上書きダビングした。
棚から取り出した以前のVHSのビデオケースから、新聞の切抜きが出てきた。
むかしはよくビデオで録画した映画の関連記事をVHSと共にケースに入れていたので、これもそのひとつ。
この新聞記事の切り抜きを見て驚いた。
記事は「出会いの風景」というコラムのタイトルだ。
様々な著名人が“出会い”を語るシリーズコラムなようで、この記事は藤本義一だった。
つい先日亡くなられた義一の記事だったので驚いたのだが、そのコラム内容にさらに驚かされた。
義一がシナリオ修業時代に師の映画監督川島雄三のことを語っている。
あまりに内容がすばらしいので、ここに転載する。
二十四歳の時、シナリオ修業の師に出会った。
「幕末太陽伝」「洲崎パラダイス・赤信号」「風船」という名作を意欲的に発表し続ける映画監督・川島雄三師匠であった。
それも偶然に近い関係で師匠の身の回りの雑用をして従った。
企業組織の人間よりも師弟制度の中に自分を置いたほうが技術を学ぶことが出来ると思ったからだ。
修業といっても教えてもらえるわけではない。
師匠から盗むしかない。
それでも時々、深夜に白馬(どぶろく)飲みながら、すばらしい言葉を頂いた。
「藤本君、君は天才でもなんでもない。君が頭で考えていることを100としようか。
その考えを言葉にすると10になる。
さらに、それを文字にすれば1になる。
考えの0.1%が文学だと思え。せめて死ぬまでに0.2%か0.3%にもっていくのがプロだ。
そして自分で1日に自分だけの時間を管理しろよ」
徹夜つづきでボロボロになっても、若さがあるからくたばることはないともいわれた。
私は、この師匠の言葉を三十七年間守ってきた。
一日最低二時間は誰とも話さない時間をもっている。
一年に七百三十時間が自分だけの時間だ。
一日二十四時間だから、七百三十時間を24で割ると30.4になり、
一年間に一ヶ月徹夜で自分の時間を持つことになる。
あの師匠に出会わなかったら、私は自分の時間にも出会わなかった気がする。
師匠の没後二十五年経って、師匠の故郷である津軽に行き、墓前にヤッテマスとだけいった不肖な弟子だ。
この当時、義一は37歳。
今の私よりも遥かに若い。
その義一も、今はもういない。
落語の「居残り佐平次」から主人公を拝借。名作中の名作。F堺が名優だったことがよくわかる。
Posted by 渡邉郁夫 at 11:29│Comments(5)
│映画
この記事へのコメント
義一さんに色紙を書いてもらった
ことがある。
次に逢う時があれば この色紙の
裏に も一度 書いてあげる。
キラキラの面にですか?
そや…
色紙の裏表
実は裏書きした色紙が ほんまもんの
色紙なんや…と。
しかし もう書いてもらえない
ことがある。
次に逢う時があれば この色紙の
裏に も一度 書いてあげる。
キラキラの面にですか?
そや…
色紙の裏表
実は裏書きした色紙が ほんまもんの
色紙なんや…と。
しかし もう書いてもらえない
Posted by フランキーカワセミ at 2012年11月20日 12:31
中学1年の夏
読書感想文に選んだ本が、藤本義一の「鬼の詩」
苦心して書いた感想文に対しての先生のコメントは「中学生が、こんな本読むな」でした。
中2の夏は、そのリベンジで今東光の「お吟様」またもコメントは、「中学生が、こんな本読むな」でした。
読書感想文に選んだ本が、藤本義一の「鬼の詩」
苦心して書いた感想文に対しての先生のコメントは「中学生が、こんな本読むな」でした。
中2の夏は、そのリベンジで今東光の「お吟様」またもコメントは、「中学生が、こんな本読むな」でした。
Posted by フランキー・ゴー・ツー・サカイ at 2012年11月20日 19:01
「マラがソンするさかいに、マラソン言うんや」
義一氏には、妙な説得力がありましたな。
義一氏には、妙な説得力がありましたな。
Posted by 幕末太陽伝は、品川心中もベースにしてるで at 2012年11月20日 21:35
幕末太陽伝で、小沢昭一が、川の中の犬の死骸をつかむシーン。
動物愛護にうるさくなかった当時、
スタッフにみなさんで犬を殺して、撮影に使っておりました。
現在、そのリアリティを表現すると、上映禁止やな。
動物愛護にうるさくなかった当時、
スタッフにみなさんで犬を殺して、撮影に使っておりました。
現在、そのリアリティを表現すると、上映禁止やな。
Posted by 仁鶴の生活笑百科で竹島問題とりあげてほしい at 2012年11月26日 06:49
先ほど小沢昭一の訃報を知りました。
また一人真の芸人が亡くなった。
また一人真の芸人が亡くなった。
Posted by な at 2012年12月10日 12:53