2011年06月03日
一番亭物語 1 ~タケツグ兄ちゃんの巻~
今も昔も二流大学生の大学生活はほぼすべて「酒、女、バイト」のどれかに邁進する。
私は女がまったく持ってダメときて、酒とバイトに明け暮れてた。
バイトは12歳年上のいとこのお兄ちゃんが一人で経営する所謂街の大衆中華料理屋で夜の6~9時まで働き、
10時からは当時ダイエーグループだったファミレス「ビッグボーイ」で深夜2時まで働いていた。
お兄ちゃんは佐賀の高校を卒業し調理人になるため、大阪に出てきた。
福島や梅田の洋食レストランで腕を磨き高級中華レストラン~大衆中華を経て、晴れて伊丹の郊外に
自分のお店 中華料理「一番亭」を出した。
十代のお兄ちゃんは地方から飲食業に就職した若者によくある“やんちゃ”だったようで、
バクチ、ケンカ(高校時代空手部)は当たり前だが正義感が強く女性にめっぽう弱い、かなりの硬派だ。
音楽は同年代のジュリーなどのグループサンズは「気持ち悪い」らしく、北島サブちゃん1本やり。
梅田コマの北島三郎ショーは年1回必ず一人で観にいく。
最前列に陣取って、ラストには必ず涙を流すことになる。
パチンコ屋では左の腕に大きな磁石を忍ばせ、ひと玉を誘導し天穴に落とすというアクドイ技なんかもしていたそうだ。
(当時のパチンコはひと玉ずつ手で入れる手打ちだった。)
またケンカはめっぽう強い(ナント身長150センチ前後)が、女にはテンデ弱い。
梅田で女性と初めてのデートのエピソードがおかしい。
コマ劇場の喫茶店に入ってサンドウィッチを注文。あまりの緊張に卓上塩を
蓋ごと大量にサンドウィッチにぶっかけてしまい、初デートで余裕がなくそのまま全部ほおばったそうだ。
こんなお兄ちゃんだからずーと独身。
お兄ちゃんと気の合う一番亭の常連客たちはやはりふつの客は少なく一癖二癖もあった。
一番の相方はモーヤン。
伊丹の三菱電機の工員。ドラマのどてらい奴から取ったあだ名。
けどお人良しだがどーしょーもないアカンタレ。
毎日夕方に現われ一番奥の指定席(レジの前)で必ず中華ランチを食べてた。
当時働いていたお兄ちゃんの妹さん狙いだったようだ。
昔からのツレのはじめちゃん。
雰囲気はがんばれタブチくんの安田みたいやった。
はした金の店の売上金を盗んでトンズラした。ツレやのに。
町の零細工場に勤める佐藤さんはふつの人に見えていたが、ある日酔っ払って深夜電車に跳ねられ右腕無くした。
酒癖が悪かったようだ。
当時新聞紙上にも賑わした園田競馬の八百長事件の首謀者のおじさんは逃げる前に
「もう一度ここのギョーザが食べたい」と2人前をたいらげ失踪。
店を通じてどうしょーもないが、憎めない面々と過ごした20歳のころ。
相方の独身のモーヤンは肝臓いわして10数年前に亡くなった。
お兄ちゃんは20数年なんとか店をやりくりしたが、嫁無くして中華屋さんは難しく、ついに閉店し
今、故郷佐賀の和食屋さんで20歳代の若者に使われているという。
神戸震災でも潰れなかった伊丹札場の辻にあったお店は、今どうなっているのだろうか。
これは私の手料理
私は女がまったく持ってダメときて、酒とバイトに明け暮れてた。
バイトは12歳年上のいとこのお兄ちゃんが一人で経営する所謂街の大衆中華料理屋で夜の6~9時まで働き、
10時からは当時ダイエーグループだったファミレス「ビッグボーイ」で深夜2時まで働いていた。
お兄ちゃんは佐賀の高校を卒業し調理人になるため、大阪に出てきた。
福島や梅田の洋食レストランで腕を磨き高級中華レストラン~大衆中華を経て、晴れて伊丹の郊外に
自分のお店 中華料理「一番亭」を出した。
十代のお兄ちゃんは地方から飲食業に就職した若者によくある“やんちゃ”だったようで、
バクチ、ケンカ(高校時代空手部)は当たり前だが正義感が強く女性にめっぽう弱い、かなりの硬派だ。
音楽は同年代のジュリーなどのグループサンズは「気持ち悪い」らしく、北島サブちゃん1本やり。
梅田コマの北島三郎ショーは年1回必ず一人で観にいく。
最前列に陣取って、ラストには必ず涙を流すことになる。
パチンコ屋では左の腕に大きな磁石を忍ばせ、ひと玉を誘導し天穴に落とすというアクドイ技なんかもしていたそうだ。
(当時のパチンコはひと玉ずつ手で入れる手打ちだった。)
またケンカはめっぽう強い(ナント身長150センチ前後)が、女にはテンデ弱い。
梅田で女性と初めてのデートのエピソードがおかしい。
コマ劇場の喫茶店に入ってサンドウィッチを注文。あまりの緊張に卓上塩を
蓋ごと大量にサンドウィッチにぶっかけてしまい、初デートで余裕がなくそのまま全部ほおばったそうだ。
こんなお兄ちゃんだからずーと独身。
お兄ちゃんと気の合う一番亭の常連客たちはやはりふつの客は少なく一癖二癖もあった。
一番の相方はモーヤン。
伊丹の三菱電機の工員。ドラマのどてらい奴から取ったあだ名。
けどお人良しだがどーしょーもないアカンタレ。
毎日夕方に現われ一番奥の指定席(レジの前)で必ず中華ランチを食べてた。
当時働いていたお兄ちゃんの妹さん狙いだったようだ。
昔からのツレのはじめちゃん。
雰囲気はがんばれタブチくんの安田みたいやった。
はした金の店の売上金を盗んでトンズラした。ツレやのに。
町の零細工場に勤める佐藤さんはふつの人に見えていたが、ある日酔っ払って深夜電車に跳ねられ右腕無くした。
酒癖が悪かったようだ。
当時新聞紙上にも賑わした園田競馬の八百長事件の首謀者のおじさんは逃げる前に
「もう一度ここのギョーザが食べたい」と2人前をたいらげ失踪。
店を通じてどうしょーもないが、憎めない面々と過ごした20歳のころ。
相方の独身のモーヤンは肝臓いわして10数年前に亡くなった。
お兄ちゃんは20数年なんとか店をやりくりしたが、嫁無くして中華屋さんは難しく、ついに閉店し
今、故郷佐賀の和食屋さんで20歳代の若者に使われているという。
神戸震災でも潰れなかった伊丹札場の辻にあったお店は、今どうなっているのだろうか。

Posted by 渡邉郁夫 at 18:45│Comments(5)
│語り
この記事へのコメント
換気扇が油で固まり
カウンターの後の壁は、人の形に黒ずんでいるような中華料理の店。
昼なら、ラーメンとチャーハン。
夜なら、といりあえず餃子とビール。
たまには、ビール以外の酒をすすってみたい。
開高健の「珠玉」に登場するような店で。
『道道無常道』
『天天小有天』
カウンターの後の壁は、人の形に黒ずんでいるような中華料理の店。
昼なら、ラーメンとチャーハン。
夜なら、といりあえず餃子とビール。
たまには、ビール以外の酒をすすってみたい。
開高健の「珠玉」に登場するような店で。
『道道無常道』
『天天小有天』
Posted by 火の玉の”餃子と麦酒”領五郎 at 2011年06月03日 20:14
開高健が最後に書いた文字。
病院のベッドで。
臨終直前に
「油淋鶏」
(鶏唐揚げの甘酢あんかけ)
開高健やからええもんの、
領五郎さんが臨終の際に、
「えびチリソース」
と書いたら、みんな悲しむで。
病院のベッドで。
臨終直前に
「油淋鶏」
(鶏唐揚げの甘酢あんかけ)
開高健やからええもんの、
領五郎さんが臨終の際に、
「えびチリソース」
と書いたら、みんな悲しむで。
Posted by ご存知 at 2011年06月06日 14:35
さすが開高氏
まさに、最後の晩餐ですな。
まさに、最後の晩餐ですな。
Posted by 火の玉の”面白きこともなき世を面白く”領五郎 at 2011年06月06日 21:00
なんか私小説のテーマになりそうな
中華料理屋です。
今までのブログで一番心にしみた。
中華料理屋です。
今までのブログで一番心にしみた。
Posted by 載菊 at 2011年06月08日 17:12
ほんに近所やのに、どうなってたかなぁ。今度、写真とってきます。
Posted by ぜんこう at 2011年06月09日 17:57