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渡邉郁夫
渡邉郁夫
仲良し(モーグリ&バルー)


お酒の守備範囲はALL。仏像鑑賞は奈良中心。音楽はブリティッシュ系。野鳥はかわせみ。特撮はウルトラQ、マン。落語は米朝。麺はマロニーであろうが広範囲に好きなアドマンです。
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2009年10月29日

みなさんにとって、老後の楽しみとは?

桂米朝に文化勲章 落語界に初栄誉

政府27日、は09年度文化勲章を古典落語の桂米朝(83)ら5氏に贈ることを決めた。
文化勲章の親授式は11月3日に皇居で行われる。        Nikkannsports.com

みなさんにとって、老後の楽しみとは?



わたしには老後の楽しみのメニューがある

老後に豪華客船で世界一周してもつまらんやろう


で、例えば寅さんのDVDをすべて観ること

例えば安藤広重の東海道五十三次を模写すること

例えばオリジナル紙芝居を作り公園で子供に演ずること


そんな諸々の老後メニューのひとつに

桂 米朝全集のDVD観賞がある


CDで一部のネタは聴くが、“地獄八景~”のラストの閻魔さまとの絡みでは

身振り手振りを観客が爆笑してるようだ

ぜひ映像で見たい


米朝さんには多少の縁がある

三人いる息子さんの次男、三男とは尼崎の中学の同級性で、陸上部も同じだった
(因みに大村 崑の長男も同級性だった)

二人はわたしと違い優等生そのもの

まじめで成績優秀、足も早くまさに文武両道な子達であった
(崑ちゃんとことはエライ違い・・・)


名前がおもろい

中川 トオルと中川ワタル

よく言ったもんだ

「きみら将来漫才師になったらエエねん!芸名は 橋 トオル、ワタル や。」


米朝さん、おめでとうございますクラッカー

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Posted by 渡邉郁夫 at 12:02│Comments(10)カルチャー
この記事へのコメント
1970年代、日本で一番有名なギタリストだった月亭可朝は、米朝の一番弟子。初代の桂小米朝は、月亭可朝です。古典落語一筋の真面目一本な男だったんですけど、ある時、余興で歌った「嘆きのボイン」が大ヒット。米朝から離れることになった。それを、米朝がこころよく了解したので、月亭可朝の芸名をつけた。「月の桂浜、米朝に許可された」それで、月亭可朝。災難なのが、月亭八方で、八方は、古典落語をやりたくて小米朝時代の可朝に入門したのですけど、入門後師匠は、半年でお笑いタレントになってしまったんです。人生、縁ですね。
Posted by 中川清 at 2009年10月30日 04:23
月亭可朝の伝説は数々ある。新幹線に乗っていて前の席の禿げたおっさんの頭をコツいたら1000円あげるとツレのキャッシーにいわれ、可朝はほんとうにコツいた。極めつけは外国(たしかハワイ?)の空港で荷物受け渡しのレーンに正座で座り1周回った。裏側の黒人が驚いた。荷物が流れてくるのに人間が流れてきた。しかもカンカン坊のちょび髭のおっさんが。回りの客も大爆笑!可朝は昔の芸人によくある舞台より普段のほうが
やたらおもろい男だ
Posted by 月亭部長 at 2009年10月30日 11:19
そう、そう月亭可朝といえば、・・・・・ちがう。今回のブログテーマは、老後や!!
Posted by 月亭係長 at 2009年10月30日 12:06
可朝さんが大ブレークする前の頃
スタジオで 何週分かの録りだめ録音を観ていた。途中休憩があって師匠が付け人に用事をいいつけた。しばらくすると付け人は 外からもどってきてスタジオの中の師匠になにやら渡した。
師匠は スタジオの中からガラス越しに
僕のほうを指さした。

付け人が僕にさしだしたものは…新聞紙にくるまれた焼き芋だった。食った。旨かった。その付け人は弟子になったばかりのようで 学生服(浪商の詰えりが目に残っている)をきていた。
彼は高校生 後の 月亭八方師匠である。
Posted by どんならん at 2009年11月05日 20:44
月亭可朝は、米朝の弟子になる前に、誰か(名前忘れました)の弟子になってたんやけど、師匠の女に手を出して破門されたと聞いてます。ほんでもって、その師匠は可朝の才能がこのまま葬られるのはもったいないとのことで、米朝に弟子にしてやってくれと頼んだとも。
さらに、米朝の弟子になったタイミングが米紫と微妙なタイミングでどちらが兄弟子でどちらが弟弟子か揉めたとも。
噂の真相どちらさんかご存知ないでっしゃろいか?
Posted by 百年目 at 2009年11月05日 22:11
ちがう。今回のテーマの老後か、米朝ネタに戻りましょう。・・・・といいながら。可朝の最初の師匠は、林家染丸です。米紫より先に、可朝は米朝には入門しましたけど、その頃は、「預かり」だったので、小米朝の名前を貰ったのは、米紫よりあとです。
Posted by はてなの茶碗 at 2009年11月06日 13:21
小米朝から月亭可朝に名前を変えたのは
吉本の林正之助会長が「うちにいる落語家は何で小のつくやつばかりやねん」
と怒って小文枝、小春團治、小米朝に名前を変えろといった。
小文枝は拒否(後に五代目文枝襲名)、小春團治は二代目露の五郎、小米朝は米朝に相談し、
桂とか笑福亭やのうて別のないかとたずねると月亭文都があると答えた。
小米朝はそれにしますと返答したが米朝は大名跡やさかい簡単には決められんと答えた。
結局、小米朝は月亭に自分で考えた可朝という名前をつけて初代月亭可朝になった。
Posted by 名無し at 2009年11月07日 15:45
可朝は三代目林家染丸の弟子で林家染奴という名前だった。
染丸が可愛がっていた女性と可朝が一緒にいるとこを見た染丸が破門した。
しかし可朝は女性に手をだしていなかった。
米朝いわく破門にしたのは娘が二人いたから染丸さんの奥さんが破門にしてくれと頼んでいたみたいだと言っていた。
破門された可朝は小文枝と偶然あって破門されたことを言った。
小文枝は米朝に報告して、米朝は染丸に若手がおらんし堪忍したってくれとお願いしたが染丸にあんたが面倒みたってくれと言われた。
染丸は可朝に米朝のとこに行けと言って、可朝は八卦で占ってもらって小米朝という名前にしろと言わた。
小米朝という名前を持参して米朝の弟子になった。
そのころ腹話術から落語に転向するために米朝に弟子入り志願していた後の米紫だが家族らの反対で可朝に少し遅れて米朝の弟子になった。
後に枝雀、ざこばが入門して二人にどっちが一番弟子か聞くと可朝は俺が先に弟子になった、米紫は歳は俺の方が上とお互いが一番弟子を主張した。
4人で話し合って年上の米紫を一番弟子にしとこというこになったが可朝は心の中では納得していなかったみたいだ。
Posted by 名無し at 2009年11月07日 16:01
すごいですね。
まるで「24」のストーリーの如くリアルに当時の様子を伺うことが出来て嬉しいです。
Posted by 百年目 at 2009年11月07日 20:10
コメント関係者のみなさん。
戦後、関西落語会復興の歴史の1Pを垣間見、大変ありがたいのですが、強引すぎませんか!
ブログのテーマは「みなさんにとっての老後の楽しみとは?」でした。老後にどうなことをみなさんがしたいのだろうかを聞きたかったのですが、
あきらめました。
タイトル変えます。

「あなとにとって、月亭可朝とは?」
・・・嘆きの、強引。
Posted by 渡邉“だるま”郁夫 at 2009年11月09日 19:24
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