2012年01月16日
『血と骨』 ~おどろしい物語は原作を超えられるか~
【おどろしい】
"1 不気味で恐ろしい。すさまじい。「怪奇映画の―・い演出」
2 ぎょうぎょうしい。大げさだ。
「あななひに―・しく二十人の人ののぼりて侍れば」〈竹取〉
3 声や音などが人を驚かすように大きい。騒々しい。
「そこら集(つど)ひたる響き、―・しきを」〈源・御法〉
[派生]おどろおどろしげ[形動]おどろおどろしさ[名]"

原作の梁石日(ヤン・ソギル)の『血と骨』はおどろしい物語。
しかも隠微でジメジメ感タップリの救いようがない物語だ。
読んでいて途中読むことが辛くなるほどの描写がこれでもかというくらいに出てくる。
作家の自伝小説だから描写はこの上なくリアルだ。
(余談だが父親の愛人の臀部の表現がエロくて忘れられない。
たしか子供をたくさん生むために具わった腰まわりみたいな表現だった?)
先日映画「(監督崔洋一)をビデオで観賞する。
原作のおどろしさにどこまで迫れるか!が観賞のポイントだった。
原作を読まなかったらおどろしい映画になってただろうが、やはり映画は原作を超えられない。
やはり映画と小説は別物なのだ。
梁石日(ヤン・ソギル)の作品でもうひとつ、戦後大阪砲兵工廠でのアパッチ族を描いた「夜を賭けて」がある。
開高健の名作「日本三文オペラ」は開高自身がアパッチ部落に潜入取材した作品に対して、
「夜を賭けて」は梁石日自身がアパッチといわれた朝鮮部落に実際住んでいた視点での作品。
この映画化はたしか当初、監督崔洋一で進む予定だったが
最終的に金守珍という演劇演出者に変更になったと記憶する。
この映画も原作越えはほど遠く、血と骨ほどの在日のおどろしさも表現できていなかった。
できれば崔洋一で監督してもらいたかった。
"1 不気味で恐ろしい。すさまじい。「怪奇映画の―・い演出」
2 ぎょうぎょうしい。大げさだ。
「あななひに―・しく二十人の人ののぼりて侍れば」〈竹取〉
3 声や音などが人を驚かすように大きい。騒々しい。
「そこら集(つど)ひたる響き、―・しきを」〈源・御法〉
[派生]おどろおどろしげ[形動]おどろおどろしさ[名]"

原作の梁石日(ヤン・ソギル)の『血と骨』はおどろしい物語。
しかも隠微でジメジメ感タップリの救いようがない物語だ。
読んでいて途中読むことが辛くなるほどの描写がこれでもかというくらいに出てくる。
作家の自伝小説だから描写はこの上なくリアルだ。
(余談だが父親の愛人の臀部の表現がエロくて忘れられない。
たしか子供をたくさん生むために具わった腰まわりみたいな表現だった?)
先日映画「(監督崔洋一)をビデオで観賞する。
原作のおどろしさにどこまで迫れるか!が観賞のポイントだった。
原作を読まなかったらおどろしい映画になってただろうが、やはり映画は原作を超えられない。
やはり映画と小説は別物なのだ。
梁石日(ヤン・ソギル)の作品でもうひとつ、戦後大阪砲兵工廠でのアパッチ族を描いた「夜を賭けて」がある。
開高健の名作「日本三文オペラ」は開高自身がアパッチ部落に潜入取材した作品に対して、
「夜を賭けて」は梁石日自身がアパッチといわれた朝鮮部落に実際住んでいた視点での作品。
この映画化はたしか当初、監督崔洋一で進む予定だったが
最終的に金守珍という演劇演出者に変更になったと記憶する。
この映画も原作越えはほど遠く、血と骨ほどの在日のおどろしさも表現できていなかった。
できれば崔洋一で監督してもらいたかった。